お彼岸ですので先代が横ブリと出会った時の話
昨日はお彼岸でしたので
先代がミシン刺繍と出会った話をしたいと思います。
母がミシン刺繍を習うきっかけになったのは
新聞広告の求人欄に”ミシン刺繍職人募集高給”
という文字が目に入り興味を持ったそうです。
それで自分で調べ、大阪の天王寺にある刺繍屋でミシン刺繍教室を
開いていたのを探し、訪ねて行ったそうです。
そこで、初めて”横ブリミシン”と出会ったそうです。
横ブリミシンというのは、膝の動きにより針の幅出しをして
足踏みペダルでスピードを調整し
手の動きにより布に刺繍を描いていくミシンです。
当時は花嫁修行として教室に通う人が多かったそうですが
母は事情があり乳飲み子の私を一人で育てる為、必死にミシンを覚えたそうです。
当時は花嫁修行として教室に通っていた人も多かったそうですが
母は誰よりも早くミシンを覚え、
そして師匠から信頼を得て仕事を貰ったそうです。
まだ昭和40年には機械ミシンがない頃でしたので
女性用の下着、服、小物などに花を描いたりと
横ブリミシンの需要は多くあったそうです。
長年我が家の押入れには、教室で習った
花柄や幾何学模様を刺繍し、画用紙に貼った作品があり
画用紙の右下には先生からの採点で
「大変良くできました」という文字が沢山ありました。
柄や色が綺麗なので、私は時々押入れから出しては眺めていましたが
母が亡くなる3年ほど前に、自分で全て処分してしまい
後から知った私は「どうして捨ててしまったのか」と問いただした事がありましたが
どの様に答えたかは覚えておりません。
かなりの量があり、ミシン刺繍の貴重な資料になったのではと今でも残念に思います。